ファッションブランドを作った男たち – バーバリー、ブルガリ、ルイヴィトンを作った男

ファッションブランド 実業家

世界中で広く知られるファッションブランドも最初は街中にある無名の店舗でした。今回はⅰバーバリーを作った男、ⅱブルガリを作った男、ⅲルイ・ヴィトンを作った男の物語について掘り下げます。

バーバリーを作った男

バーバリーの創業者トーマス・バーバリー(Thomas Burberry)は1835年にイギリスで生まれた。21歳の時、シドニー・チャップマン社の織物工場に就職し、約10年間そこで働く。この期間中に、織物の製法について学び、後にバーバリーのトレンチコートに生かすことになる。

1856年、リンカンシャー州のバーウィック・アポン・ツイードで、バーバリーの前身となる衣料品店「T. Burberry & Sons」を創業する。当初は、雨具や乗馬用品などを扱っていた。1879年、防水性・耐久性に優れた素材を開発し、特許を取得して製造権を独占した。1891年、ロンドンのヘイマーケットに本社兼店舗を置く。1895年にトレンチコートの前身となる「タイ・ロッケンコート(ボタンがなくひもでロックするコート)」を製造。1901年にカタログを発行し、第一次世界大戦中にイギリス軍の制服されると、大戦中に50万着以上、終戦後は市民に広まった。以後、冒険隊やイギリス王室の御用達となる。1917年、バーバリーは引退して隠居し、1926年に90歳で死去した。

ブルガリを作った男

ブルガリの創業者ソティリオ・ブルガリ(Sotirio Bulgari)は1857年、ギリシャで生まれた。父は宝飾品の製造業者で、幼少期から父の宝石商店で働き始め、彼自身の宝石商店を開くことを夢見ていた。1881年、ブルガリはイタリア・ローマに移住し、自分の名前を冠した最初の宝飾店を開業した。美しいデザインと高品質の宝石を使用した銀細工製品はローマで評判を呼んだ。1905年、48歳のとき、息子コンスタンティノとジョルジョも事業に加わり、コンドッティ通りに店舗を構える。これが現在のブルガリ本店である。古典様式をベースに先進的な技術を取り込んだ独創的なスタイルは人々を魅了した。1932年、75歳でソティリオ・ブルガリは死去。

ブルガリの死後、彼の子供たちはブランドを引き継ぎ、時計等へも事業を拡げ、1970年代になるとニューヨーク、パリなど海外展開を進めた。1993年にはブルガリが最初の香水「オ・パフメ」を発表。これがヒットしたため、本格的に香水事業に乗り出すようになった。

ルイ・ヴィトンを作った男

創業者ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)は1821年に生まれた。両親との折り合いが悪く、14歳で故郷を離れ2年かけて徒歩でパリへ。1854年、33歳で旅行用トランク専門店”ルイ・ヴィトン”を創業する。トランク工場をスタートし、1867年、46歳でバンコク博覧会で銅メダルを獲ってから世界的な評判を得る。しかし、現在のように世界的な有名ブランドとしての地位を築いたのは、息子ジョルジュによる功績が大きい。そう、ルイ・ヴィトンは世襲した二代目社長の功績が大きい数少ない会社である。対照的に、グッチオ・グッチが創業した”グッチ”は世襲した息子が数多くの愚行を犯し、経営から追放されている。

息子ジョルジュは1880年、23歳でパリ・スクリーブ通りの店舗を任される。1888年、ジョルジュは模造品防止のため「ダミエ・ライン」と呼ばれるデザインを考案するが、商標登録されていたにもかかわらずコピー品が出回る。1892年、35歳のときに父ルイ・ヴィトンが死亡して会社の全権を握るようになると、シカゴ万国博覧会に出展するなど、世界的に展開していく。1896年、コピー品横行防止のため、現在のヴィトンを象徴する手裏剣のようなトレードマーク(モノグラム・ライン)が入った製品の販売を開始した。

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